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秋保温泉と佐勘 ~江戸時代前・中期~

 江戸時代の行政区分で言うと、秋保温泉と佐藤家は、陸奥国名取郡湯元(ゆもと)村に属していた。同家の先祖の功績を書き綴った史料には、初代仙台藩主の伊達政宗をはじめ、4代綱村、5代吉村、7代重村が小休に訪れたことが記されている。佐藤家は、歴代藩主が秋保へ遊歴した際には、必ず立ち寄る場所であったようである。

 佐藤家と温泉の具体的なつながりをみてみると、同家は中世以来秋保に土着して温泉を管理し、江戸時代初頭には仙台藩から湯守(ゆもり)に任命されている。湯守は、温泉を管理し、宿屋を営業して入湯客の利用に備えると共に、彼らから一定の湯銭(ゆせん)(入湯料)を徴収し、その一部を御役代(おやくだい)(運上金)として藩に上納することを主な務めとしていた。

 ただし、初期の上納額は、寛永14年(1637)で年間1貫25文(入湯客41人分)、正保3年(1646)で1貫300文(同26人分)に過ぎず、入湯客や宿泊者はごく僅かであった(1000文=1貫文)。その後、御役代は3貫500文に定額化され、しばらくの間変動することはなかった。御役代が変わらなかった理由を入湯客数が変わらなかったことにあるとみれば、江戸時代前・中期の秋保温泉は観光地と言えるような賑わいはみせていなかったということになる。

「名取郡北方湯本村絵図」(部分)。文政6年(1823)。川(名取川)沿いの林に囲まれた屋敷が佐藤勘三郎家である。「湯守勘三郎」という文字の下と左側、佐藤家の北側の林と川の間に確認できる青色の部分が温泉の浴槽であると思われる(仙台市博物館蔵)。

佐藤家の先祖勤功書上。天明8年(1788)。佐藤家先祖の藩に対する忠勤ぶりや歴代藩主の来訪の様子が書き綴られている。同家の由緒書とも言える記録である(ホテル佐勘蔵)。

写真左/「正保三年分出湯御役請取手形」。写真右/「寛永十四年分出湯御役請取手形」。いずれも代官から佐藤家宛に出されたもの。仙台藩領の温泉は近世後期に藩の金山方(鉱山行政担当)の支配管轄となるが、この時点では代官の直接支配を受けていたとみられる(ホテル佐勘蔵)。
温泉の変化と村の振興策 ~温泉約定の成立~
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