『奥州名所図会』より「名取御湯 直下橋」。江戸時代後期。通過する者が必ず橋下の河流を覗いたことから直下橋と呼ばれるようになったという。『奥州仙台領遠見記』(宝暦11年〈1761〉)によると、「幅一間程長五間余の板橋、欄干あり深さハ八間三尺」(一間は約1.8m、一尺は約30cm)であったという(宮城県図書館蔵)。