写真左/「正保三年分出湯御役請取手形」。写真右/「寛永十四年分出湯御役請取手形」。いずれも代官から佐藤家宛に出されたもの。仙台藩領の温泉は近世後期に藩の金山方(鉱山行政担当)の支配管轄となるが、この時点では代官の直接支配を受けていたとみられる(ホテル佐勘蔵)。